ぱん工房桜道 店主プロフィール



こんにちは、ぱん工房桜道 店主の
くにはる です。

家族経営なので、下の名前で失礼します。
漢字も読みづらいのでひらがなで(笑)


2000年に東京製菓学校パン本科を卒業しました。
田村先生、橋本先生には大変お世話になりました。
その後洋菓子の勉強もしたかったので、
パン屋修行中にリライブ フード アカデミーで勉強しました。


主に修行したのは、
プルクワ
ムーミンベーカリー&カフェ(東京ドームラクーア店)です
神田さんと池田シェフには大変お世話になりました。


そして、2007年に「ぱん工房桜道」を
オープンしました。


持っている資格は、
調理師、 製菓衛生師、一級建築士 です。

ん?

何か変なものが混じってましたか?


そうです。僕は建築関係でゼネコンの監督をしてました。
いわゆる脱サラ組です。

この一級建築士、これまでずっと隠してきました。

絶対に
「そんな資格があるのにもったいない」とか
「何それ、自慢?」とか
「パンに関係ないじゃん!」
って話になるので・・・。

まぁ、色々な資格でも言われていますが、
一級建築士って
「足の裏の米粒」なんです。
「取らないと気持ち悪いが、取っても食えない」・・・
そんなもんです。

ちなみに僕はマークシート運が異常にあり、
受験からその他の資格でも
いつも合格ラインぎりぎりだけど、
その運だけで取ってきました(笑)


何で今これを紹介したかと言うと、
もうパン業界も長く、
「そろそろ笑ってもらえるかな?」
と思ったからです。

「えぇ、大馬鹿ですが何か?」ってね。
これからはネタにしようと思ってます。

そういえば、僕の大学の先輩には
「一級建築士の家具職人」
すまうと もいます(笑)
野木村さんお元気ですか?




じゃあ何で、
「建築からパンになったのか?」

もう、これまでに何度も聞かれた質問です。
色々な回答をしてきましたが、
一番しっくりくるのが、

「自分で創りたかったから」
につきると思います。

ゼネコンの監督は実際に何も創らない
誰かが書いた図面の通りに、
期日までに誰かに作らせる。
そういう仕事です。

もちろん、それは大事な仕事です。
そして、大変な仕事でもあります。

でも、僕は自分の手で、自分で何かを創り
それを誰かにあげて、
「喜ばれたらうれしい」
と、思った。

根本はそこにあります。


思い起こすと、昔保育園で
折り紙の手裏剣が流行った時、
僕はもくもくと手裏剣を折り、
それをみんなに配る。
そんな子でした(笑)


うーん、
きれいごとになってしまった・・・

まぁ、それだけで転職して
開業するモチベーションになる
わけもなく、

実際のところ引き金となったのは、
ゼネコン時代に
近隣住民が反対している
マンションの建設を2件続けて
やった事ですね。

最初はすごくうまくいきました
近隣の奥様方とも仲良くなり
最後は
「親戚の娘とお見合いしない?」
という話まで出るくらいに(笑)

でも、

その次の現場では全くだめでした。
何をやっても受け入れてもらえず。
「あんたの名前でお宅の社長に
クレームの手紙出す」
まで言われました。

その時、

「僕は何をつくってんだろう?」

・・・

その疑問が頭を占めるようになった。

その頃にたまたま本屋で
手に取ったのが
パン屋開業に関する本でした。

その時見たのが花屋の本だったら
花屋になっていたのか!?(笑)

でも、たぶんそれでもパン屋
だったと思います。


パン屋開業について調べているうちに

パンが持っている
「ハレ」と「ケ」の両方の特性。

そんなところが、
中庸が好きな自分には
とってもしっくりきたんです。

「これで表現してみよう」と。


長くなりましたが、
そんなこんなでパン屋をやってます。


書き始めると、言いたい事はいっぱい出てきますね。

僕は本が好きで、
パンの本や漫画、哲学、心理、脳関係、
身体・健康、禅的なものから、
ちょっとスピの話まで・・・
本のチョイスの適当さには
自信があります(笑)
(もちろん入門書パラパラ
レベルですけど)

そんなのをからめて
色々とくだらない話が
したいいんですけど、

書き始めたら止まらないが
それではパンが作れない(笑)
だからブログもフェイスブックも
自ら封印しているんです・・・

というわけで、また仕込みに戻ります。


長々と最後まで読んでしまった方、
内容が無くてすみませんでした。


また、書く機会があって、
そこで出会えたら、
そこで少しでも「ほっこり」して頂けたら、
幸いです。


ぱん工房桜道 店主
一級建築士パン職人(笑)
くにはる




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