ベーカリージャパンカップ その後


ジャパンカップ終了後、持ち出した道具類の
片付けや仕込みの流れを取り戻すのにバタバタし、
もやもやと色々考えながら、数日の間、

今回のジャパンカップから、特に決勝戦での
ミスから何を見出すことが出来るか?
そればかり考えていました。



僕はよく順風満帆と見られることが多い。
でも、本当は要所要所でバカばっかりやっている。


「1級建築士をけってパン屋を開業したそうです。」
そうジャパンカップでは紹介された。

でも僕は1級建築士をけり、東京製菓学校を首席で卒業し、
さあこれから!という最初の1件目のパン屋を
オーナーともめて1年で辞めている。

その時は完全にパン屋開業への思いは消えかかっていた。
少し何も出来ない時期があり、でも、ふとしたことがきっかけで
またパン屋の門をたたいた。

その後、虎ノ門(現在辻堂)のプルクワ神田さん、
ムーミンベーカリーカフェの池田シェフと出会い、
本当にお世話になって、僕はパン業界に戻れた。

あっさりと捨てた建築の仕事とは対象に、
本当に色々な事があったのにそれでも続き、
開業して10年になるんだから、
やっぱりパンとは縁があるんだと思う。



それ以外でも、いつも僕はバカやってる


ちょっとよい進学校に入る・・・

落ちこぼれて、バンド始める

ちょっとよいゼネコンに入って現場監督する
一級建築士とる

職人ボイコット問題現場や、近隣住民マンション反対現場を
2件続けて、ゼネコン辞める
(詳しくは店主プロフィールにて)

東京製菓学校パン科 首席で卒業

就職したパン屋を1年で辞める

ベーカリージャパンカップ 準決勝進出

ミスして2位で決勝進出ならず

そして、今回
ベーカリージャパンカップ決勝進出

決勝にて大ポカやって採点出来ずの4位


他にもいっぱいある、ありすぎる。



でも、これだけは言える・・・

「何がどうつながるかは分からない」
それは確信に近い。


落ちこぼれてバンドを始め、必死になって
譜面を覚えていたら、なぜか成績が上がった。

建設反対現場に行ったから、「ものつくる事」に対して
深く考えられた。

1年で辞めるほどのオーナーがいたから。
その悔しさがあり、それでもパン業界を辞めなかった
自分に気づいたから、自分のパン屋を開業できた。

あの1年がなかったら、今でも開業できなかったかも
しれない。

準決勝でミスして2位だったから
レシピをもっと良くしようと考えに考えて出てきたのが、
今回のメインコンセプトである、米油を使った菓子パン生地だ。

米油が思いつかなかったら、あのシンプルなパンで
決勝にはいけなかっただろう。


僕はバカだから、失敗しないと学ばない。
強烈に打ちのめされないと、フルで頭を回さない。


だから、今回も・・・

目の前が真っ暗になるほどのものを喰らったから・・・

何かにつながると信じている。




決勝に出られたことは本当に名誉なことです。
激戦の東日本で一位を取ったこと、
それは事実だし胸を張ろう。



長々と、すみません。
書き始めると止まらないのは僕の悪い癖です。




さてと、では・・・

店主のテーマ曲で紹介した、


終わりなき旅 でも聞きながら
もんもんと次の扉を探しつつ

PADDLE ・・・ 
には、今はちょっと早いから

彩り を聞いて
いつものパンをつくります。


今、この場所に立っている事に感謝。

ぱん工房桜道
店主 鴻巣邦治




ここまで
長々とお読みいただきありがとうございました。

今後の展開については、ページを改めて、
こちら
でお伝えします。




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